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スポーツハンティングで野生動物を殺すことが平然と行われている国アメリカ

本日のテーマはハンティングについて。私はアメリカに住んで以来、「ハンティングに行ってきた」という話をするアメリカ人と何人か会ったことがありました。彼らは殺した動物の写真を撮り、自慢げに見せてきたので、「残酷なことをするな~」という印象を持ったことを覚えています。

先日、同じようなシチュエーションに遭遇したときに「かわいそうじゃないの?」と相手に言ってしまったところ、「後で肉を食べたんだからいいでしょ?自分も肉を食べるでしょ?そんな事言ってたら偽善者のように聞こえるよ」と言われ、軽く口論に発展してしまいました。

決着はつかなかったのですが、なんだか自分の中でこれだけは譲れないような気がしたので最終的にはその人のことを激しく嫌悪するようになり、以後交友関係を持たなくなってしまいました。そんなきっかけもあってハンティングについてネットでいろいろと調べ、自分なりの結論に達したので、ここに書き留めておきたいと思います。

 

ハンティングには2種類の定義がある。サバイバルのハンティングと、趣味のスポーツハンティング

私が反対しているのはスポーツハンティングのことです。スポーツハンティングとは、娯楽のために行われる狩猟活動のこと。ここで多くのハンティング愛好者が使う言い訳は、「ハントした後に食べるから自分がやっていることはスポーツハンティングではない」でしょう。

しかし、私の中では食べることを目的としているハンティングもスポーツハンティングになり得ると考えています。例えばロサンゼルスのような大都市に住んで平日はオフィスで仕事をしているが、休日に山に出かけてハンティングする人がいるとすれば、彼らの目的は何なのでしょうか。

そういう人は、たいていハンティング自体を楽しんでいるか、その行為を写真などに収めて後で友人に自慢したいと思っているのだと思います。食べることは二の次であり、自分を正当化させるための言い訳の手段でしかありません。

食べることが目的であればスーパーに行って肉を買った方が早いし安い。ちなみにアメリカでハンティングをするにはライセンスが必要で、山で動物を捕まえてきたからといってその方が安あがりになるということはありません。

山に住んでいたり、狩猟を食料の糧としている民族以外は、ハンティングを遊びとして捉えているとしか考えようがありません。

 

動物が殺されるところを見てかわいそうと思わないのか

自分は猫を飼っていたせいもあるかもしれませんが、動物が殺される場面に遭遇すると目を背けてしまいますし、多くの人が同じようなの感覚を持っているものだと思っています。ハンティングをしている人はこの辺をどう思っているのでしょうか?

大袈裟な話になるかもしれませんが、よく猟奇殺人者が事件前に動物虐待や猫殺しなどを行っていたことが発覚することがありますが、動物の痛みを何とも思わない人は人間に対してもひどい行いを平気でするような気がします。聞いた話ではハンティング愛好者にはDV男が多いらしいです。

 

動物愛護を唱えながら畜産業の肉を食べる人は偽善者なのか

コレは動物愛護の定義にもよりますが、動物愛護を唱える人の多くは肉食を否定している訳ではなく、虐待や無益な殺生を批判しているだけです。スーパーで肉が購入できる環境に住んでいる人が、わざわざ山に行って野生動物の命を奪うことは無益な殺生です。その人が殺さなければその動物は生き延びることが出来た訳ですから。

対して、人間社会の中で畜産業は必要不可欠なものであって、これを否定しても何にもならない。これは仏教的な考え方でもあって、仏教徒は

「自分のためだけに殺されるのを見た肉」
「自分のためだけに殺されたということを信ずべき人から聞いた肉」
「自分のためだけに殺された疑いのある肉」

を食べることが出来ないそうです。(宗派にもよります)

要するに、家畜の肉は自分個人のために消費されるのではなく、人類のために消費されるので仕方ないと割り切るしかない、というのが私の考え方です。

 

現代の家畜の殺され方

ここで誤解してほしくないのが、かと言って市販で売られている肉を当たり前のように食べてもいいのかということ。家畜の一生というものは悲しいものです。牛や豚は屠殺の際には電気ショックで気絶させ、その後首を切って失血死させるそうです。(場所にもよって変わります)

ヨーロッパではその前に麻酔を打つことが法律で決められているそうですが。しかし、実際の現場ではちゃんと動物が気絶させられていなかったり、劣悪な環境で飼育されていたりもするそうです。

豚の殺され方(屠殺方法)
と畜(と殺)見学に行ってきました。
映像がとらえた屠殺のシーン

肉を食べる自分がこんなこと言うのは矛盾しているかもしれないけど、こういう話を聞くと胸が痛くなります。畜産業を否定するつもりはありませんが、家畜の飼育環境を向上したり、屠殺を出来るだけ苦痛の少ない方法に改善することは必要でしょう。

 

まとめ

ところでこの記事で私が何を言いたかったのかと言うと、「動物の権利を尊重しよう」ということです。この先世界の人々が動物の権利を尊重できるような風潮が出て来れば、スポーツハンティングや畜産業での残酷な飼育も無くなってくるかもしれません。

私はそれが出来ると信じています。「人間はもともと肉を食べる生き物だから」と言っていては何も進歩がないだろうし、そういう虚無主義的な考え方に走れば人間の道徳心は進歩してこなかっただろうし。

動物たちへのリスペクトを忘れずに。

ちなみに、ハンティングをする人にこういう話をしても理解し合えることはほとんどありません。特に大人のアメリカ人は討論によって自分の考えを変えることはほとんど無いので、状況に応じてこのような話は避けた方がいいかもしれません。

 

命の尊さを学べる本「豚の死なない日」

私は子供の頃にこの本を読み、食べ物のありがたみを知りました。牧畜で働くファーマーのお父さんと子供のストーリーです。ぜひ読んでみてください。

17 Comments

通りすがり

スーパーに並ぶ牛や豚や鳥の肉は平気で食べるのに、狩猟して肉を食べることを否定する人。
豚や牛を殺してスーパーに並べてくれている人に殺しの対価を払って肉を買っている現実。
それは狩猟の殺生と何が違うのだろうか。間接的に殺生していることにならないだろうか。
肉や魚を全く食べないなら別として、食べている人間が狩猟を否定するなど、まったく筋の通らない自分勝手な話ではないかと思います。

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匿名

この記事には心の底から共感します。
娯楽のために生き物を殺すということの意味を分からない人が多すぎます。非常に残酷であり無駄に殺される動物のことを考えられていない。
その様に批判をすると、ハンティングは文化だと反論する人もいますが、文化は絶対的に守らなければならない第一優先事項ではないと私は思います。(個人的に日本の”文化”である捕鯨にも反対です)
また家畜の一生もまた残酷で、記事のように屠殺の際の配慮はされてないのがほぼ一般的だと聞きます。
しかしそういうふうに食べられるために狭い小屋で生きてきて屠殺された動物の肉を食べて私達は生き永らえているというのもまた現実であり、ジレンマを抱きつつも日々自分たちの生を支えてくれている動物たちへの感謝の気持ちを忘れずにいることが今の私が出来ることだと思っています。

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狩猟者

狩猟をしている者です。
文明にとって必要であるから畜産は止むを得ない、文明の為に殺されたものを食べるのは悪くない、と仰いますが、私にはそれこそが偽善にきこえます。
私もスーパーで買う方が安く簡単に肉を食べられる環境におりますが、自分でとった鹿や猪を食べています。ハンターにも色々いるでしょうが、私は「自分が食べる為に動物が死ぬならば、自分で責任を果たせる範囲で食べたい」と思い狩りをしています。美味しいお肉を味わうなら、その為に動物を自分で殺め、断末魔肉を立ち会い、自分で捌くべきと考えています。
「自分で殺してないから自分は悪くない」という考えは余りに自己中心的に思います。どれだけの家畜が食べられずに廃棄されているか知っていますか?あなたが手軽にスーパーで肉を買える様な状況を作る為に、環境に自然環境にどれだけの負荷がかかっているか知っていますか?
少なくとも日本の多くのハンターは動物を愛し、山を愛し、自然を愛しています。野生動物の数を含めた、自然環境を適正に保つ事を目的にした法律に従い、その範囲で狩猟しています。

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世界のヘイショー

家畜産業の弊害については、周囲にビガン、ベジタリアンの友人が多いし、本を読んだりネット上の記事も読み漁ったので周知しているつもりです。

私は畜産を完全に肯定している訳では無いので、肉食は週に1回まで(稀に2回)、自炊では一切肉は使いません。アメリカでは肉が安く、野菜や魚料理は高いし、正直言うと肉の味は子供の頃から大好きだったので、今のところはここまでが限界です。またこれは誰かに主張するためではなく、自分自身の気持ちを楽にさせるために行っています。(今回はつっこまれたので主張していますが。)

ただし畜産が人類から無くなることは現実的にあり得ないと思うので、健全な方向へ向かうことを願っています。

質問者様は害獣駆除目的(山を守る目的)で狩猟を行っており、畜産からの肉を一切食べないのであれば主張されている意見は尊重させていただきます。私の価値観とは異なりますが。

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狩猟者

お返事ありがとうございます。
様々な価値観があって然るべきと思います。
猟を楽しむ事、肉食を楽しむ事、二つの欲望に、私は大きな違いは感じられません。実質的に動物を犠牲にしているのですから。猟をしない、肉を食べない事を選択出来るのなら尚更です。自分が猟と関わりが無いからといって、それを感情的に非難したり、人格を否定するのは傲慢だと思いました。
好き嫌いの話ではなく、同じ環境を共有するものとして、それが自然環境のバランスを崩すならば、規制を主張すべきです。
私も狩猟、畜産が健全な方向に向かう事を願います。
失礼致しました。

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くだらねぇ

くっだらねぇ
過去に行われた「見当外れの害獣駆除」の方が余程悪いっつーの
スポーツハンティングなんてのはデカブツ狙いなんだから種の絶滅だのどうだのにはまるで関係ないべや
問題になるとしたらチンケで手前勝手なお花畑正義に反するかどうかだけwww

お前らこそ狩られろwwwwwwwwwww

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heysho

> スポーツハンティングなんてのはデカブツ狙いなんだから種の絶滅だのどうだのにはまるで関係ないべや

種の絶滅の話とか出てこなかったと思いますが。
ただ絶滅危惧種に対してのスポーツハンティングは今も行われていると思います。アフリカのライオンとか。

> お前らこそ狩られろwwwwwwwwwww

自分は狩られたくないので狩りはしませんが、狩猟をしている人は自分が狩られても文句は言えないと思います。

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jojo苑

 ベジタリアンの記事では反対意見ばかり出させて頂きましたが、こっちは全面的にとは言えないまでもおおむね同意見です。一方的に殺したあとで食べることが免罪符になるとはとうてい思えませんものね。

 ただハンティングが無益な殺生であるとは一概には言えません。狩猟対象は害獣が多く、ハンターがいなくなれば急速に繁殖しますから最終的には駆除が必要になります。ハンターが殺さなかったぶんを後でまとめて殺すだけなんですよね。もちろん、娯楽として殺すのと駆除を目的として殺すのとでは大きな違いがありますが、

→「動物の権利を尊重しよう」ということです

 権利の主体たる動物の立場に立てば、娯楽か駆除かはまったく関係ないので、結局は人間の立場から俯瞰した人間の倫理観を守るための倫理に堕するのがオチなのかなとも思います。

 ところでフィッシングについてはどう思われますか? 私はハンティングほどは心を傷めないのですが、heyshoさんの考えでは魚の権利も尊重されるべきですか?

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heysho

日本でハンティングは害獣駆除の目的で行われていることが多いと思いますが、その部分が記事に欠けていたことは申し訳ないと思っています。個人的には狩猟という方法は避けて欲しいとは思いますが、害獣駆除の最善策は地域毎に変わってくるとも思うので仕方がないとも思っています。

娯楽のフィッシングは基本的に必要無いと思います。ただ哺乳類ほど愛着は無いので今のところそこまで深く考えたことは無いというのが正直なところです。

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jojo苑

→ただ哺乳類ほど愛着は無いので

では、哺乳類に魚ほどの愛着はない人がいたら、どうされますか?

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heysho

何もしません。哺乳類にしか気にかけれないのであればペスコトリアンを目指せばよいし、魚や虫も好きであればヴィーガン、植物も思いやれるのであればフルータリアンになればよい。動物が好きだけど肉食がどうしても断てないのであれば消費量を減らすだけでもよいです。このような問題に興味を持ち、逃げずに少しでも努力をしている方がいれば私はリスペクトします。

ただ境界線より向こう側の生物は気にしないのかと言うとそうではなく、「命を粗末にしない」という認識は一般常識としてあるべきだと思います。

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jojo苑

 書き方が分かりにくかったですね。ペスクタリアンのことではないです。

 私が聞いているのは、「哺乳類に愛着はないが、魚には並々ならぬ愛情を持っている」人があなたの倫理観について批判してきたら、どのような対応をしますか? という意味です。

 また、ハンティングを愛好する人が、「ただ魚類ほど愛着は無いので今のところそこまで深く考えたことは無い」というのが正直なところだとしたら、そして彼らが一部のペスクタリアンを批判するブログを作っていたら、やはりフィッシングや魚食は禁止されるべきですか?

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heysho

>> あなたの倫理観について批判してきたら、どのような対応をしますか

魚であれ動物であれ、娯楽による殺生は行うべきではないという考えは変わらないと答えると思います。

>> 彼らが一部のペスクタリアンを批判するブログを作っていたら

重複しますが、環境や自然のために少しでも努力をしている人を非難するべきではないと心の中で思うでしょう。

>> やはりフィッシングや魚食は禁止されるべきですか?

フィッシングは禁止されても良いと思います。魚食については禁止するしないという極端な発想はありません。褒められた行為ではないが妥協して回数を制限するくらいが現実的かと思います。

ついでに言うとレアなケースを想定して話すことはあまり好きではありません。哲学を追求している訳ではないので。

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jojo苑

→ついでに言うとレアなケースを想定して話すことはあまり好きではありません。

 ほかの記事では酒鬼薔薇というたいへんレアなケースを利己主義者の比喩として使われていましたが、自分がレアなケースを用いるのは別問題ですか?

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heysho

利己主義者の代表的存在として例に挙げただけです。酒鬼薔薇は極論ですが利己主義者は割と多くいると思います。
あと子供じみた口喧嘩はするつもりは無いので、中身の無い書き込みはご遠慮ください。

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jojo苑

 すみません、一晩経って冷静に考えたのですが、さすがにイチャモンをつけすぎました。よくよく考えてみれば自分が正しいと思い込んでいるのは私の方だったかもしれません。

 ご迷惑でしたら削除してくださって構いません。ほかの記事のほうもOKです。お目汚し失礼しました。

 

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